真島先生からのお題が出たので、自分なりに記事を書きましたが。
その後もなんとなくすっきりせずに、頭のどこかで「無敵メンタル」についてモヤモヤモヤモヤと考えていたナツです。
結果、かなり信憑度が高そうな仮説が立ちました💪
私の場合、生来の「自分は自分」という冷めた感覚は、あくまで無敵メンタルづくりのきっかけに過ぎない。
1️⃣1つのことで自信を持つ
↓
2️⃣それが一回雲散霧消する
↓
3️⃣全く別のことで自信を持つ
という経緯があってこその、無敵メンタル!
です。
1️⃣は、高校でしっかり良い成績が取れたこと。それをベースに、(私大文系という限定枠ではありますが)大学受験で自分に自信が持てる結果が出たこと。
2️⃣は、天職を探して、挫折したこと。
小さい頃からの活字好きが高じて、人文系の研究とか、翻訳とか、そういうことに憧れての大学選び、専攻選びでしたが。
大学の授業、山のような専門書。
面白いところもたくさんあるけれど、私の頭で理解しきれないところも多々(当たり前だ)。
大学に通って数年でやっと、あれ?私、どうやら、象牙の塔に篭れるほどには賢くないのだな、と悟りました。
そして、その頃には、嘘ではなく、本当に素直な気持ちで自分のこれからの「方針変更」を考えられるようになっていました。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」
これは確かな真実ですが、そうかと言って、パンがなければそもそもそんなことを考える前に飢え死にするわけで。
「パンのみ」の対極にある精神的な価値みたいなものにばかり目が行っていた自分の幼さ、未熟さに気づけるようになりました。
「人の精神だけでなく、人の暮らしそのものを大事にして生きたい。実際に必要とされる種類の仕事に就きたい。」
やっとそのくらいまで考えられるようになったのが大学4年の頃。馬鹿みたいですよね😅
でもまあ、あの時、自分の考えの変化に合わせて、しっかり就職まで漕ぎつけたことは本当に我ながらグッジョブです。
それには、当時付き合っていた彼氏(夫)が「手に職絶対必要!」と、専業主婦にNOを出していたことが、かなりの後押しになっていたので。
夫には本当に感謝しなくてはいけません。
(でも、もう少し家事育児のフォローしてよね)
さてさて、2️⃣でかなり闇〜な時代があったので、「これでは卒論に挑めない」と親に泣きついてわざと単位を落として、1年留年。その間に、自分の「手に職」を決めました。そのために必要な資格を取る算段もして、大学卒業後に1年だけ別の大学に通いました。
(親不孝ですね😓これについては、もう足を向けて眠れませんね)
そして、無事試験に受かり、今の職に就きました。
トロくさい私なので、1年目は職場のスピード感についていけず呆然としていましたが。
2年目くらいにはずいぶん慣れ、給料分のお仕事はできてるぞ、と自信が持てるようになってきました。
実際、先輩からの評価もとても上がりました。
具体的に褒めてもらえることが増えるたびに、さらに先読みして仕事を回したり、自信を持って引き受けられたり。
良いサイクルに乗ることができました。
なんだかんだもう20年以上働いて、職場内での立ち位置も変わりましたが。
良い仕事に辿り着けたな、という思いは変わりません。
なんだかごちゃごちゃと書きましたが、要は、自分の中での失敗・・・というか価値観の転換と、それを消化してのリベンジがしっかりできていることが、私の場合は無敵メンタルへと繋がったのだという考察です。
しかし、これをちまちま書いている最中に、レモネードさんの素晴らしい記事を拝読!
この視点、さすがだと思いました。
私の持っているエピソード、結局は他者からの評価に基づいて「ワタシ、凄いところあるじゃない」とドヤ顔しているということ。
結局、この社会の価値観の中がんじがらめに生きているから、他者からの評価はある程度大事にせざるを得ないわけで。
偏差値に振り回されるのはカッコ悪いと、心から思いますが・・・実際、高偏差値を取れたことは、過去の自分のドヤ顔を支える重要ファクターだったんだよなぁ。
私、仕事にプライドを持っているけれど、そのプライドを支える要素の1つには、しっかりしたお給料貰えているという事実も、確かに含まれているんだよなぁ。
そう考えると、無敵メンタル、意外と薄っぺらいや。
内戦とか起きるレベルで社会が掻き回されたとしたら、私の無敵メンタルは崩れ落ちそうだ。
いや、内戦とかを潜り抜けてもなお、他者から認められる経験をすれば、更なる無敵メンタル構築となるのか👀
1つのお題から考えを巡らせ、ブロガー仲間さんの記事からまた新たな思考のきっかけをいただく。
松江塾から始まる素敵なコミュニティに、感謝申し上げます🙇