『親業』、何とか読み終わりましたナツです。
(図書館の返却期限内におさまってよかったよ・・・)
第5章で出てきた、「問題を所有するのは誰か?」という考え方が、なかなか大切だと思いました。
注意しなくてはならないのが、「親が」問題を所有する場合。
「子供のしていることが気に入らない、あるいは、子供の行動を見守っているときに、自分が不快感をもっているのに気づくことがある。」
「このような子供の行動に直面して、親は、子供でなく自分自身を助ける方法を考えなくてはならない。」
というわけで、親が問題を所有する場合には、親は自分の問題解決のため、「わたしメッセージ」を送って、子供の行動を変えさせるということらしいです。(自分自身や環境を変えるのもOK)
うん、確かに。
問題が「誰の問題なのか」。考えてみれば当然必要な区別なのに。
こういう区別を厳密にはしてこないで、とにかくカミナリ落としていたよな・・・
しかし、この辺りでナツの素直じゃない心がムズムズと。
だって、この本に出てくる「親が問題を所有する場合」の例って、なんか、しょうもないぞ。
例えば、親の所有物を粗末にするとか、お手伝いしないとか、レストランで行儀悪いとか。
そりゃあまあ、そういうのも、解決した方がいいけどさ。
多くの松江ママンの悩みの種の9割以上は、「子供が問題を所有する場合」なんだと思うなぁ・・・
子供が、自分で決めたことを実行できずにグズグズしてるとか、開き直ってるとか、努力できないとか。
とか、とか、とかー。
(ねっ、我が娘ポジ?)
さらに読み進めると。
また、ナツとしては、うーん?となる場面。
「子供の責任として合意できた問題」の例(つまり親は口を出さない)がね。
例えば宿題、学校の勉強になっております(笑)。
で、宿題とか学校の勉強をどうするかは子供に任せるぶん、お小遣いとか、お手伝いとか、片付けをどうするかを、家族で話し合うのだと。
うーむ、あくまで例とはいえ・・・
1970年代アメリカの親子トラブルは、小遣いとか手伝いを親が勝手に決めて、それで子供が反発して、みたいな牧歌的な感じだったのかなあ?
(いや、こういう牧歌的なトラブルから、深刻な非行やら犯罪やらにつながったってことか😅)
我が家は大した手伝いはさせてないし(でも、ちょいと頼んだ時には快く動いてくれるので、それはそれで良し!)。
小遣いは確かに、ゆくゆくもう少し大切に使ってくれないと、とは思うけどね。
今のところこれらの例は我が家にとって非重要案件なので・・・むしろ、宿題とか勉強!
子どもが問題を所有しているんだけど、親が一緒に考えたいのだ。
ナツの読み方も杓子定規なんだろうな・・・
その後の章で出てくる、「勝負なし法」。
これについては、確かに、大事。
完璧にじゃないものの、最近はなんとかやれている、とも思います。
ポジがまだまだ素直&何かと目立ちたがりさんということも大きいのかな。
一緒に解決策を探すことは好んでくれています。
ということで、現時点のナツ所感・・・
もやもやすることは多いけども、『親業』で頭をすっきりさせ、自分の言葉かけが「破壊的」である、ありうることを自覚するのは大事かな?
でした。
しかし、momoさんの実践を読んで。
ナツ、まだまだ浅かったな!って、すごく爽快な気づきを得ました。
こちらです💁♀️
私が多くを語る必要はないので、ぜひご一読を!
でも、この感想だけは書いておきたいです🙇
12の型は、皆無にはできない。
皆無にしたら、それはそれで、日本の母を逸脱するような気もする。
でも、親の口をついて出ることをそのまま言うのでなく。
「今、どう受け止めてあげたら、この子は前に進めるのか?」を計算する。そして言葉を紡ぐ。
つまりは、女優ですね。
momoさんの言う行動の「弱化」は、確かに私も仕事で学んでいて、仕事ではほぼパーフェクトにやれていると思っています。
ただ、家だと・・・正直・・・。
12の型が破壊的であるという自戒を込めて、行動の弱化。
娘がもっとわけわからんちんの暴れん坊だったころから、この実践がしたかったな😓
とはいえ、今日がこれからの人生の中で1番若いんですよね。
学ぶ姿勢を放棄せず、親業を頑張らなくてはと思いました。
momoさん、まだお身体が本調子ではないご様子。
momoさんはじめ、松江ママン!
(あ、もちろんパパンもね🎵)
どうか無理されず、自分を甘やかしてあげる時間もとってくださいね。
年末まで後少し!
今週も頑張りましょう💪