momoさんの記事をきっかけに、「そうだ、タイトルで気になって、読みたかったんだった!」と思い出した本・『親業』。
(『親業 子どもの考える力を伸ばす親子関係のつくり方』トマス・ゴードン著 近藤千恵訳 大和書房 1998)
まだ読み始めておらず、momoさんに分類してもらった時点でも、おぉー!と思っていましたが。
(分類の記事は、こちら💁)
読んでみるとやはり、刺さります。
・・・今まで、よかれと思ってやってきたこと、ダメだったのか😅、と。
特にギャフンとなったのが、子どもの行為と、子どもそのものを、親が区別して対応するというやり方。
・・・これ、むしろ良かれと思って言っておりました。
「ポジが〇〇だったことについて、怒ってるんだよ。〇〇は良くないと母は思う。でもね、だからと言ってポジのこと嫌いだとかそういうことではないよ。ポジのことは大好きなんだから!」
こんな感じ。
でも、『親業』31ページから引用すると。
「子供が自分が人間としてどれだけ受容されているかを判断する場合、自分の行動がどれだけ受容されるかということが基準となる。
子供のいうこと、することの数多くを受容できない親は、自分は人として受容されていないんだという、奥深い感情を子供に抱かせるようになる。」
今まで何度も言っちゃったぞー。
確か、特性のある子の育て方とかで一般的に出てくるやり方だったような気はするけど。
でも、確かにこの叱り方がポジに響いているかっていうと、響いちゃいなかったからな。
グサグサ感を抱きつつ、今第4章(94ページ)まで読みました。
ここまでの時点で思うのは、これはあくまで親子「関係」に焦点を当てたアプローチであって、子に、何かを乗り越えていく力がつくと保証するものではないな、と。
子は、子の生来の力によって伸びていく。
親はそれを妨げない。
そういうスタンスなんだろうな。
でもなぁ、未熟な我が子を見ていると、そこまで達観できないのもまた事実。
とはいえ、この本はやはりとても学ぶべきところの多い本だという感触はヒシヒシとあります。
だって、究極の2択!親が子を伸ばそうとして潰すか?子の力を信じて応援するか?
となったら、やはり後者を選ばざるを得ないのだから。
ちなみに、この本がアメリカで出版されたのは1970年。日本で抄訳が出たのが1977年。
時代と共にどのような変遷、評価を得たのかも、読了後には少し調べてみたいなとも思いました。